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【社内報】笑顔通信アーカイブ 2022年9月(第4週)

アーカイブ(2022年)

9月19日 ひこにゃんと彦根城①

おはようございます。

徳川家康のもとで江戸時代の基盤がつくられるわけですが、そのなかでも最も信頼の厚かったのが、徳川四天王のひとりである井伊直政でした。

特に信濃攻めをし、甲斐の武田を破って、その後に優秀な武田軍を引き受けることになりました。
その赤の甲冑が特徴的だったため、井伊の赤備えとして懼れられ、直政はその勇猛果敢な姿に、井伊の赤鬼と形容されていました。

徳川家康からもっとも信頼されていたために、石田三成の所領だった佐和山を任されることになります。
現在の滋賀県、彦根、米原周辺は、東西の交通の要衝であり、江戸を守るため重要な位置関係にありました。

また謹厳実直な石田三成の政治により、彦根周辺の民は石田三成を尊敬していましたので、家康からは石田三成を否定せず、その誠実な政治を踏襲することにより、民からの信頼を得るようにと戒めを与えられていたといいます。

それで彦根城(国宝)を中心として、善政を敷いて、井伊家は現在にいたるまで滋賀県においては尊敬を集めています。
幕末の大老・井伊直弼の安政の大獄があったとしても、現在もなお、井伊直弼への敬慕はゆるぐものではありません。

その彦根城のアイドルが「ひこにゃん」です。

「ひこにゃん」はゆるキャラとしてのさきがけとなりました。

その愛らしいキャラクターは多くの人に愛されています。
彦根城を訪れると定時的に登場して私たちに癒やしと笑顔をもたらしてくれるので機会があれば会えると良いですね。

「ひこにゃん」がなぜ彦根城のゆるキャラになったのかは、井伊直政が東京世田谷の豪徳寺で「たま」という猫との出会いがあったのが縁の始まりとなっています。

「たま」という白猫の姿に、井伊の赤備えとしての赤兜(あかかぶと)をかぶらせていたわけですね。

この「招き猫伝説」についてはまた明日紹介することにしましょう。

9月20日 ひこにゃんと招き猫伝説

おはようございます。

江戸時代に東西南北の交通の要衝である彦根藩を任されたのが井伊直政でした。
徳川四天王のひとりとして、徳川幕府を明治維新にいたるまで守る忠誠心を貫いていました。

それでは、彦根とひこにゃんはどのような関係があったのでしょうか。

実は、彦根藩の二代目藩主・井伊直孝が江戸近郊で鷹狩りをしていたときのエピソードがありました。

現在の東京世田谷に古刹、豪徳寺があります。
江戸初期においては貧しいお寺で、そこの住職が白猫をとても可愛がっていました。

そしてある時に、その白猫は山門に座っていました。

そこに彦根藩二代目藩主の井伊直孝の鷹狩りの帰り道に豪徳寺の前を通ります。
すると白猫は何やら右手を挙げて手招きをしたように見えたらしく、ちょうどこの豪徳寺で休憩することにし、茶を所望したといいます。

すると急激に雲行きが怪しくなり、あっという間に落雷があり、雨が降り出します。
それで雨がやむまでのしばらくの時間を、井伊直孝は住職の法話に耳を傾けることになりました。

このことを契機にして、井伊直孝は豪徳寺に多額の寄進をし、後に井伊家の菩提寺としたのです。

これが「招き猫伝説」となり、白猫のたまが亡くなった際に「招福猫児」として供養し、観音様のお使いとして祭られています。

豪徳寺の招き猫は、小判を抱えているのではなく、右手を挙げて「人招き」をしています。

つまり、人と人とを結びつける「縁結び」を大切にしていると言われます。

私も知人から2008年に豪徳寺の招き猫と縁を結ぶ機会を得ました。
その時にこの招き猫伝説を紹介され、あらためて縁の大切さを痛感しました。

こうした背景があって、ひこにゃんは白猫のデザインとなっています。
先ににも紹介した通り、ひこにゃんの赤い兜は井伊の赤備えであることなどひこにゃんに込められた思いは、戦国時代から江戸時代にいたるまでの歴史が奥行きがあり、ゆるキャラとはいえ、とても魅力的です。

「人生は誰と出会ったかで決まる」とも言えます。

いつ、どこで、どんな縁をもつかは、自分自身の感性のアンテナを高くしておくことが大切ですね。

またすでに出会っている人は、その縁を大切に育てていきましょう。

9月21日 思考方法(11)・・・経験と理性①

おはようございます。

ものごとを正しく見て、判断することの大切さは、誰もが求める思考力ですね。
これまで、「経験」を真ん中において考えを進めてきました。

その際に、公式として「(体験+体験+・・・)理性=経験」と指摘しました。
ここでわかることは、いくらたくさんの体験を重ねても、その体験をつないで、結んで、整理していく「理性」の働きがなければ、有用な「経験」として積み重ねていけないということです。

実は、体験と体験を結びつけるのは理性ということになります。
たとえば、雲のあい間から激しい光が走り、しばらくするとドーンという轟音が鳴り響く時、私たちはこの「①光を見た」という体験と「②音を聞いた」という二つの体験を瞬時に結びつけて「雷が落ちた」と判断します。
つまり光の速さと音の速さの違いによって、二つの体験がズレていると見るからです。

それでは、朝に太陽が昇ると、鶏がコケコッコーと鳴く、という二つの体験を私たちはどのように結びつけるでしょうか。
この判断はなかなか難しいものがあります。

朝に太陽が昇ったから鶏が鳴いたのか?
鶏が鳴いたから太陽が昇ったのか?
それとも他に因果関係や相関関係があるのか?

それらを考えるのは理性の働きです。
正しい判断ができるかどうかは、周辺情報がどれだけあるかが問題ですが、そこにしっかり理性を働かせることになるでしょう。

したがってAという体験、Bという体験をどのように結びつけるか、その結びつけ方によってその人自身の人生観が形成されていくことになります。

成功の体験、失敗の体験、それぞれにどのような意味があったのかを考える時「私」という人間の本質が見えてきます。

いままで順当に大きな問題がなかった人であっても、突然の事故や病気に見舞われたり裏切りに遭ったりすると、それまでの人生観が大きく揺らぎます。
このままダメになってしまうのか、それとも希望があるのか、そうした感情に覆われていきます。しかし、いまここで私は、それでも乗り越えて生きているという事実を受け容れて、自らを肯定的にとらまえることができるという思考に向かうべきでしょう。

一つひとつの体験を総合してみれば、それは善なるものであると見ることができる時、その人の人生は豊かなものになります。

それでは次に「理性」について考えてみましょう。

9月22日 思考方法(12)・・・合理主義②

おはようございます。

体験と体験をどのように結びつけるか、そこには理性の働きがあることを指摘しました。

そこで少しだけ「理に合う」という意味でもありますが、「合理性」という考え方について見ていきましょう。

哲学の世界では「合理論」といわれる方法論があります。

まあ、哲学といえばデカルト、カント、ショーペンハウアーといった名前が飛び出してきます。
そのむかし、学生たちは「デカンショ節」を高歌放吟していました。

この哲学者の名前を合わせて「デカンショ」、つまりデカルト、カント、ショーペンハウアーのことですね。

これが懐かしいというあなたは、結構な年齢を重ねていますね(笑)

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デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県丹波篠山市を中心に
盆踊り歌として歌われる民謡であり、学生歌としても広く歌われた。

【歌詞】

デカンショデカンショで半年暮らす アヨイヨイ 

あとの半年ねて暮らす ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ 

丹波篠山山家の猿が アヨイヨイ 

花のお江戸で芝居する ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ

・・・
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現在も上記の歌詞を基本にとさまざまなバリエーションで歌い続けられています。

そこで、デカンショの最初の「デカ」という哲学者デカルトの考え方は、世界中に大きな影響を与えてきました。

デカルトの考え方は簡単に言うと次のようなものでした。

私たちは理性ですべてのことを疑うことができる。
「これは何だろう?」と問いかければ、私たちの目に写るモノ、耳で聞えるもの皮膚感覚で感じるモノすべてを疑うことができる。
しかしどうしても疑うことができないものがあることに気づくだろう。

それは「これは何だろう?」と疑っている私自身を疑うことはできない!
確かにこれは明らかなことだと。

これをデカルトは「我思う、ゆえに我あり」という言葉を遺しました。

これにより「自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である」と理性による判断に明晰性があると主張しました。

私たちがひとつの事実を目にするとき、「これは何だろう?」と関心をもち理性の思考のなかで吟味、検討し尽くしていくとき、真理に到達するという考え方です。

だから分析していくこと、つまりわからないものは「分けて」いくことが大切なのだと近代の思考方法へと導いたわけです。

デカルト的な考え方は、常に「これは何だろう?」と問いかけて、そのものの理解を深めるようになっていくことです。

こうした合理的な考え方ができるようになると、さまざまな問題や課題の本質が見えるようになっていきます。

体験と体験を結びつけるときも、「これらの体験は一体何だろう?」と問いかけることによって、新しいものの見方や考え方が豊かに導き出されてきます。

それが私の人生にとって重要な価値のある経験として積み上げられるようになっていくはずです。 

9月23日 思考方法(13)・・・合理主義の落とし穴③

おはようございます。

ものごとを理解するために、理性によってものごとを「分ける」という方法を展開したのが「合理論」です。

フランスの哲学者デカルトは、理性によってこの世界を理解することができると信じました。この影響により、近代哲学の方法に大きな革命となって広がっていきました。

私たちも自然に「分ける」ことによってものごとを理解しようとする傾向が見られると思いますが、それはデカルトの影響ともいえます。

「これはいったい何だろう?」と関心をもち、そこから分析しながら、真理に到達し、明晰な判断をくだすことができるというように、その思考の方向性は自然なものとなっていますね。

ここで気をつけなければいけないのは、合理論的な発想でいうと、「理にかなっていれば間違いない」としてしまうことです。
わずかな情報しかないのに、無理矢理に思考上だけで理にかなう組み合わせつなぎ合わせをしてしまうと、それは単なる独断論になってしまいます。

課題や問題に対して、たっぷりと考えて出した結論でも、それは完全なものではありません。
すべての情報を網羅して、思考することは不可能だからです。

いったん出てきた結論であっても、まだ完全でないかもしれないと謙虚になって他のメンバーの意見を聞き、特に反対意見には耳を傾けてみることによって総合的な正しい判断であるか明晰になります。

独断と偏見に満ちた判断に陥りやすいのが、合理主義者の落とし穴です。
自分自身が正しいと判断するとき、それは独断になっていないか、偏見によって判断をしていないかについて、やはり理性的に思考を深めること、謙虚であること素直であることが大切になります。


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