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【社内報】笑顔通信アーカイブ 2022年11月(第3週)

アーカイブ(2022年)

11月14日 「人望」のある人(6)・・・十八不徳

おはようございます。

人と人とがお互いに信頼関係を育み、それを土台として与えられたミッションを遂行していくことができるように、やはり「徳」を磨いていくのは大切ですね。

先回のコラムでは、「九徳」を紹介しました。

実際には、「寛(かん)にして栗(りつ」とあったように、心広く寛容であるとの「寛」という徳、またキチッとしたしまりがあるという意味の「栗」の徳、この対極にある二つの徳を併せ持つことができるように人としての徳を磨くように示されていました。

それで左側の九つの徳、右側の九つの徳が示されていることに気づいたことと思います。

それでは、ということで、このすべての徳のない人とはどうなるかを見てみましょう。

つまり「九徳」とは両側の徳を合わせると「十八徳」となります。
もしこのすべての徳のない人は「十八不徳」の人となってしまいます。

こういう人がいると、仕事は前に進んでいかないし、とても大変なことになるでしょう。

以下は山本七平氏による「十八不徳」の意訳です。

***********************

【十八不徳】
①こせこせとうるさいくせに、②しまりがない

③とげとげしいくせに、④事の処理ができない

⑤不真面目なくせに、⑥尊大でつっけんどんである

⑦事を治める能力がないくせに、⑧態度だけは居丈高である

⑨粗暴なくせに、⑩気が弱い

⑪率直にものを言わないくせに、⑫内心は冷酷である

⑬何もかも干渉するくせに、⑭全体がつかめない

⑮見たところ弱々しくて、⑯内も空っぽ

⑰気の小さいくせに、⑱こそこそと悪事を働く

**********************

十八不徳の人は、決して人から信頼も信用もされません。
良い人間関係を築くことが難しいからです。

いま一度、十八不徳の逆を行い、周囲の人との関係性を充実させていっていただければと思います。

ぜひ参考にしてください。

11月15日 「人望」のある人(7)・・・人徳とは

おはようございます。

「九徳」と「十八不徳」について紹介しました。
私たちが社会生活を営んでいく際に、人と人との関係性に調和をもたらすことができるように心がける項目ばかりではなかったかと思います。

私たちの幸せと喜びは、自分自身の能力を十分に発揮できることと、その能力が人のために役立っているということに集約されます。

自分自身の可能性を追求するばかりになれば、「自己中心的」ともとらえられ、わがまま勝手とみられてしまい、周囲の人から敬遠されたりします。

また周囲の人たちのために自己犠牲的に尽くしていくと、それは周囲からみれば美しく見えますが、自分自身がひたすら消耗してしまい、疲れてしまいます。

このバランスをいかにとるかが大切ですね。

理想的には、自分自身を追求しチャレンジしていることが、そのまま人の役に立っているという状況でしょう。

これを実現するのは至難の技で、この理想の状態を創り出すことは難しいといわなければなりません。

それではどのようにすれば良いのでしょうか?

まずは、私の能力を理解し、その可能性に期待してくれる人との出会いが挙げられます。
私がどんなに努力して、能力を発揮できるように実力を蓄えたとしても、その能力を発揮できる場を得なければならないのです。

その出会いは「ご縁」といいますが、別の表現をすれば「運が良い」ともいええるでしょう。

そこで良き縁を結ぶには、良き運を引き寄せるには何が大切なのでしょうか。

まさにそれこそが「徳」なのです。

「徳」を積んでいる人は、困った時や苦しい時に手を差し伸べてくれる人がどこからともなく現われます。
そして助けてくれるだけではなく、その人の能力を見抜いて、十分に発揮できる場を整えてくれたりします。

それではどのように徳を積めば良いのでしょうか。

それは、困っている人や苦しい立場にある人に対して手を差し伸べることです。
それは財力や権力のあるなしの問題ではありません。
「笑顔」「励まし」「寄り添い」という、その苦しい人と思いを共感して、耳を傾けて話を聴くことなど、こうした行為は「善なる徳」を積むことです。

私たちの周囲にいる「ご縁」を結ぶ人たちが、幸せであるようにと思いやりの心をもつことは貴い徳となることでしょう。

そういう人を多くの人は助けて支えていきたいと思うものです。

私たちの職場も徳のある人たちとして、「感謝と思いやり」を溢れさせていきたいですね。


11月16日 「人徳」のある人(8)・・・無財の七施

おはようございます。

「徳」のある人は、「徳」のある人を引きつけ、そこには愛情と信頼に満ちたコミュニティが創られるようになります。

そこは自己中心的に人を利用したり、人の足を引っ張ったり、人を貶めるようなことはしないで、お互いに人格を高め合い、共に苦労し、共に喜びを分かち合う世界となっていきます。

そして人が人として成長する場となるでしょう。

人生の永い時間を過ごす「職場」がそのようになっているなら、こんなに幸せなことはありません。

それでは徳を積む実践はどのようにすれば良いのでしょうか。

そのヒントが仏教の教えにあり、「無財の七施」といいます。

仏教では「お布施」という言葉があります。
「布」とはあまねく広くという意味で、「施」とは施すという意味です。
つまり、あまねく広く、分け隔てなく、人々に奉仕し、施しをするというのが「お布施」の意味になります。

一般的に「お布施」というと、お金を捧げるというイメージが定着しているかと思いますが、お金の問題ではない「無財の七施」こそ大切なことだと言います。

■無財の七施

①眼施(げんせ):やさしい眼差(まなざ)しで人に接する

②和顔悦色施(わげんえつじきせ):にこやかな顔で接する

③言辞施(ごんじせ):やさしい言葉で接する

④身施(しんせ):自分の身体でできることを奉仕する

⑤心施(しんせ):他のために心をくばる

⑥床座施(しょうざせ):席や場所を譲る

⑦房舎施(ぼうじゃせ):自分の家を提供する

このように毎日の暮らしのなかで、
①やさしい眼差しをもって、②笑顔で、③やさしく丁寧な言葉づかいをして、④重い荷物を支えてあげ、⑤気配り、心配りをしながら、⑥思いやりの行動と⑦人の居場所を確保してあげる、といったことが自然にできるようになっていく心がけをしてもらえると良いかと思います。

この中から、すぐに実践できるものを意識するだけでも、暮らしの風景が大きく変わるのではないでしょうか。

11月17日 「人徳」のある人(9)・・・陰徳を積む

おはようございます。

「無財の七施」は仏教でいうところの「菩薩行」です。

「菩薩」の境涯は、世の人々の苦しみをわが身のものとして、世の為、人の為に尽くしていく姿を示しています。
その代表的な菩薩が、「地蔵菩薩」ですね。

地蔵菩薩は大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。
道筋に静かに立って、道ゆく人々の悩みや苦しみといった声無き声に耳を傾け、必ず幸せになるように念じ続けています。

派手さはなく、地味ではありますが、こうした姿に多くの人たちは慰められています。
ただ黙って耳を傾けるだけのお地蔵さんなのですが、思わず自然と手を合わせてしまいます。

誰かが困っていて、手を差し伸べるとき「私はあなたの為にこれだけ尽くしました」と自らを誇るのは、決して美しい姿ではありません。
これでは誰のために何をしたのか分からず、ただ自己顕示欲のためだけになってしまいます。

せっかく人助けをしても、自分が目立ちたいと思う邪(よこしま)な心であるなら、何とか人の為にという純粋に思う心からは大きく離れてしまいます。

善いことをするとき、誰にも振り返られなくとも、誉められなくとも、認められなくともかまわないという覚悟が大切です。

これを「陰徳」を積むと言います。文字通り、誰が知らなくとも陰で静かに徳を積むことです。

誰かが見ているので、いい格好をしたいという動機では、心の浄化とか純粋な思いが汚されてしまいます。
これはかなり打算的で、決して善いこととはならないでしょう。

初めから認められるような、褒め称えられるような期待をして、困っている人に奉仕するのではなく、理解されなくとも、誰彼認められなくとも、善いことは良いのですから、喜んで実践しましょう。

11月18日 「人徳」のある人(10)・・・積善の人

おはようございます。

これまで紹介してきたように、多くの人に慕われて、便りされ、信頼される人は周囲の人たちのために心遣いを大切にして、幸福をもたらすための努力を重ねている人です。

人間の一人ひとりには、それぞれの個性がありますが、その個性を超えて、普遍的な人間の魅力があります。
それこそが「人徳」であり、多くの人が惹きつけられる魅力となっています。

中国の古典「易経」には「積善の家には必ず余慶(よけい)あり」と書かれています。

その意味は、「善行を多く積み重ねた家には、その報いとして必ず子孫にまでよいことが起こり幸福になる」となります。

善い行いを積み重ねていくことで、その家は恵まれるということは誰もが理解し、「それは間違いないだろう」と言います。

しかし、普段から善い行いを継続し続けられる人は多くありません。
なぜかと言えば、せっかく善い行いをしても、すぐに目に見える形で返ってこないからです。

すぐに見返りがあれば、どんどんと継続する人も増えるかもしれません。
しかし善い行いをやってもやっても見返りがほとんどないからです。

すぐに目に見える形となって現われてくれば、継続することはたやすいかもしれません。

逆に「不積善の人」には悪いことが起こるとも書いてあるのですが、だからといって「悪いことはしない」ように心がけるはずです。

それでも習慣化した「悪」は、すぐに人を不幸にするわけでもありません。

永い時間をかけて、積善の家には幸福が、不積善の家には不幸が訪れるようになっています。

大変興味深いことですが、すぐに見返りを求めてはいけないようです。

永い時間をかけて、呼吸のように善なる行為ができるようになってからこそ、積善の幸福がもたらされるようになってるのかもしれません。

緻密で、丁寧な仕事は、お客様を感動させ、それを使うユーザーの人々は信頼と信用をもってくださるでしょう。

たとえ認められなくとも、理解されなくとも、必ず見ている人がいます。
積善を続けること、それは笑顔を忘れず、奉仕の精神で行動することが大切かと思います。

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