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【社内報】笑顔通信アーカイブ 2022年11月(第5週)

アーカイブ(2022年)

11月28日 「間」に合う生き方(1)・・・間抜けの構造

おはようございます。

私たちにとって「間」というのはとても大切な美意識です。

「間をとる」「間を外す」「間抜け」「間尺に合わない」というように、人間関係における距離感や角度を「間」として自然に表現していますね。

ビートたけし氏の著書「間抜けの構造」(新潮新書)には、その独特の感性から「間」について記述されているのがとても興味深いものがあります。

ビートたけし氏はこの本のなかで、

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「間抜け」というのは、バカと似ているようで違う。
バカにはつける薬がない―。よく言われるけれど、その通り。

間抜けは“間”が抜けているということだけど、
バカには“間”がどうだかは関係ない。

・・・けれど、間抜けは違う。“間”が悪い。
あるいは“間”を外しちゃうのが間抜けである。

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と指摘しています。

私たちには、“間”はなくてはならないものであり、そこには暗黙の了解を共有しています。

だからこそKY(空気読めない)な人が嫌われるとか、その場にふさわしい“間”のとり方が求められるところに日本的な美意識が働いているのでしょう。

またビートたけし氏は、歌舞伎の六代目尾上菊五郎の「間というのは魔という字を書く」という言葉を引用し、「歌舞伎でも踊りでもその出来を左右するものは“間”であって、芸事を生かすも殺すも“間”次第。
それだけ“間”というものは重要なんだけど、同時に怖いものでもあって、“間”を外せば“魔”ともなる。
そんな含蓄のある言葉」であると解説していました。

日本のお能や歌舞伎、日本舞踊、落語、長唄、小唄、端唄、都々逸などの伝統文化や大衆芸能には、すべて“間”が生命(いのち)であるといっても過言ではありません。

まるで呼吸のように自然につくられていく“間”によって私たちはひとつになっていきます。

お互いの「間合い」をはかりながら、助け合い、協力し合いながら、良い人間関係を構築してまいりましょう。


11月29日 「間」に合う生き方(2)・・・リズム感

おはようございます。

音楽評論家の石井宏氏による「西洋音楽から見たニッポン」(PHP研究所)の日本のリズム感についての指摘は興味深いものがあります。

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・・・白人たちは物心ついたときからリズムの支配を受けた歌を歌って育つ。
彼らの音楽はこの単純に刻まれるリズムの支配する世界なのである。
それはベートーベンの大シンフォニーでも同じである。

しかし東洋風の旋律というのは、朗詠とか詩吟とか都々逸のように、リズムよりは旋律(音の線が上下する)の方が重要で、すべての美感がそこに集約されている。

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このように日本人が歌を歌うときにはリズムがあってもなくても音楽が成立すると分析しています。

たしかにカラオケで自分の思いで自由自在に唸って楽しむ人は多いでしょう。
歌うときの音を延ばす長さは、その人自身のもっている“間”があり、さらにその場や雰囲気のなかで自然につくられることも多いですね。

また石井氏は、運動会や野球などの応援団が扇子を広げて拍手の指揮を事例として取り上げて、日本人のリズムに対する感覚を指摘しています。

つまり、三三七拍子は四四八拍子なのだというのは大変面白いですね。

石井氏によると、それは応援する人は三、三、七と手拍子をするのだが、指揮をする応援団長は「チャッ、チャッ、チャッ」の手拍子の後に(ホイ)と合いの手を入れていることをいいます。

たしかに三拍子と三拍子の間に(ホイ)が入っているが、この(ホイ)を一拍子としては数えていません。

ここに日本人のリズム感の特徴があるというのは、あまりにも私たちには自然なことであるために気づかずにいます。

「休符を数えない日本人」とは興味深いが、西洋人は、ピアノを習い始めた瞬間から、休みを数えることを厳格に躾けられるというのです。

西洋人からすると日本人のリズム感は不思議な感じがするのでしょう。

ちなみに、楽譜にある音楽記号のフェルマータは日本では「延音記号」で、この記号がある音は通常の二倍から三倍長く延ばすように指導されます。

石井氏によれば、「フェルマータというイタリア語の意味は英語のストップと同じで、止める、止まる、という動作のことで、運動の停止」を意味するといいます。

フェルマータは長く延ばせという日本の理解と、西洋では音楽を止める(リズムを数えるのを止める)という理解は正反対であです。

日本人は音を延ばして歌っているときも音楽は流れているとみますが、西洋人はリズムを数えずに音楽を止めているから、その音を好きなように自由に延ばしていいとしているという理解の仕方は大変面白いですね。

日本の長唄や小唄、浪花節、民謡、演歌などのコブシを聞かせた唸りなどが日本人の感性として現代のJポップにもしっかりと受け継がれています。

これもまた「間に合っている」ということなのだろうと思います。

日本人の「間」に対する感性は自然(じねん)から発しているようで、自然と調和し、人々と和合するというように、その場に流れている雰囲気や空気を読むことが、まさに自然なものとなっているようです。

まさに「間に合う」ことが大切にされている日本人の感性があるのでしょう。

お互いの呼吸を感じながら、チームとしての和をつくっていくために、「間」の取り方を意識するのも良いかと思います。


11月30日 「間」に合う生き方(3)・・・三つの間

おはようございます。

ところで「間」を生きるといえば、国民教育者の師父と称される森信三先生は、三つの“間”の原則があると教えました。

そしてこれこそが人間のあるべき姿であると提唱しています。

一つは「時間」、二つに「空間」、そして三つ目に「人間」であると言います。

この三つの「間」については、以前に紹介しているのですが、大切なことなのでもう一度確認をしておきたいと思います。

森信三先生は、「時を守り、場を清め、礼を正す」ことが大切であると、小学生にもわかるように教えています。

時を守る・・・これは「時間を大切にする」ことです。

具体的には、「約束を守る」ことでもあります。
約束した時間をきっちりと守ることは、人として当たり前のことです。
仕事に置き換えたときには、「納期を守る」ことですし、信頼関係を構築することの基本となることですね。

場を清め・・・「空間を美しく掃き清める」ことです。

職場や暮らしの場をきれいに掃除をして、整理整頓を心がけることが大切です。
靴を揃える、ゴミを拾う、書類や資料をばらさないで整えるなど、気持ちよく仕事ができるようにお互いに5Sを徹底してまいりましょう。

礼を正す・・・人と人との間に、「礼儀と謙遜をもって生きる」ことを教えています。

朝の挨拶を大きな声で発する、呼ばれたら「ハイ」と返事をする、失敗したら「ごめんなさい」、
良くしてもらったら「ありがとう」というように、礼を尽くすことが大切です。

「時間」、「空間」、「人間」(じんかん)という三つの“間”を美しく生きることを示されています。

この「時」、この「場」、この「人」に、ふさわしい言葉や態度を取ることができるような、「間」の取り方ができるようになると、人生の達人と言われるようになると思います。

まさに人間性を磨き、人格を高めるためには、こうした三つの“間”を意識することが大切なのだろうと思う。
そしてさまざまな場面に柔軟に対応できるように、決して“間抜け”にならないように、「間」を大切にしてまいりましょう。
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