アーカイブ(2022年)
12月5日 基本の「型」(1)・・・花伝書①
おはようございます。
いよいよ2022年も師走を迎えています。
そして寒さも本格的な冬の様相となってまいりました。
京都の晩秋は多くの観光客も訪れて盛況でしたね。
これから年末に向けて、何かとせわしなくなっていきますが、ここは落ち着きをもちながらも、追い込みをかけながら精力的に仕事に励んでいきたいものです。
いろいろな問題や課題を通じて、それを乗り越えるという経験があって、一段の成長を遂げることができるというのも真実であると思います。
そこで今週は、人が成長するための「型」について考えてみたいと思います。
よく常識を打ち破って飛躍する、とか、殻を打ち破る挑戦、とか、型にこだわらない型破りな発想、というものが大切だと言われます。
しかしこれらの言葉は、まず常識を知っている、殻に守られる、型ができているということが前提になっています。
常識を知らず、殻で守られている、型ができていることがあってこそ、新しい世界を創り出すことができるという意味です。
基本的な「型」を習得することで、自分自身の本当の「型」ができるというので、「守破離」という言葉があるわけです。
そこで「型」を学ぶことの大切さを教える代表的なものが、世阿弥の「花伝書」です。
世阿弥は室町時代に「申楽(能)」を大成させました。
世阿弥は「型」という言葉ではなく「形木」(物のかたちを彫り込んだ版画の板)と表現しています。
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そうじて能は、大きなる形木より入りたる能は、細やかなる方(かた)へも行くべし・・・(世阿弥/花鏡より)
(訳)おしなべて藝というものは、大きい基本形から入った藝は細かい方面にも行き届くことができる・・・
(十二、三歳)この頃の稽古はどれもこれもやすやすといくものである。
つまりこの花だけで一生涯の能が決まるはずはない。
この頃の稽古は演じやすい部分を見せ場にしながらも、
基本の技を大事に守るべきである。
動作は正確に、謡いは発声、発音を明瞭に。
舞は型をしっかりと守って大事に稽古すべきである。(風姿花伝/水野聡訳)
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世阿弥は、それぞれの年齢に応じた花を「時分の花」といいました。
「まことの花」を咲かせるために、若い時に基本をしっかり身に付けることを大切にしています。
何事も、基本に返ることが大切であることは間違いありませんね。
こうした基本に立ち返る方法の一つは、後輩に教えることです。
人に教えることで、基本は何であったかに立ち返ることができるので、仕事への丁寧さを呼び覚ますことができます。
まずは自分の中にある基本の型を振り返ることを実践して、人に教えるとすればどのようにするだろうと、その段取りを考えてみるだけでも、基本の何かをしっかりと呼び覚ますことができると思います。
『風姿花伝』の中で「年来稽古の條々」として年齢に応じた稽古論を説いています。
12月6日 基本の「型」(2)・・・花伝書②
おはようございます。
基本の「型」を身に付けることの重要性は誰もが理解していると思います。
その時々の偶然に頼るとすれば、安定した技術や品質を維持することはできないでしょう。
それで多くの先人たちは「基本に返れ!」と叫ぶのだと思います。
先回も紹介した室町時代の「お能」を芸術にまで高めた世阿弥は、基本の型をどこまでも追求し、学び続けることを勧めています。
その世阿弥の著書である「風姿花伝」には次のように書かれています。
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(二十四、五歳)この頃、生涯の芸風が定まりはじめる。
ここが稽古の境目。
・・・若々しい盛りの芸の咲き始める時分でもある。
すなわち一見しただけで、さてはうまい役者があらわれたものだと人も注目するところとなる。
名人相手の芸くらべにも、当座の花ゆえのもの珍しさで競い勝つこともある。
それで観客も喝采し、自身も得意になりだすのだ。
このことは当人にとり、まったくもって仇となる。
これもまことの花とはいえない。一時の花である。
まことの目利きは見分けるものである。
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ここには、若い頃に技(わざ)を身に付けたと錯覚し、いい気になってしまい謙虚さを見失い、傲慢になってしまうことに気をつけるようにと警鐘をならしています。
ちょっとできるようになると慢心して傲慢になってしまうのは、とても危険なことだというわけです。
「わかった!」という瞬間は、大きな感動に包まれて、世界一になったような気持ちに覆われてしまう人がいます。
「全能感」と呼ばれるものですが、力を発揮できると自分の手柄となり、力を発揮できないときは、周囲に問題があると責任転嫁してしまうことにもなってしまいます。
周囲の支えがあって成果を上げることができたと感謝し、成果を上げることができなかった時には、自分が足りなかったと反省するとい姿勢が大切ですね。
基本の「型」を創り上げるためには、こうした基本的な心構えが必要です。
基本の「型」を身に付けるために、基本に忠実に努力を続けていくように追究したいものですね。
その意識を高めるためには、それぞれの部署における基本の「型」を明確にしておくことが求められると思います。
さて、あなたとあなたにとっての基本の「キ」とは何でしょうか?
12月7日 基本の「型」(3)・・・狂言の型
おはようございます。
基本の「型」を身に付けることの大切さを考えています。
よく「なぜそうするのかわからない」という言葉を聞くことがあります。
納得できる理由をしっかり説明してもらわないと、実行するには根拠が希薄で意味がないように感じてしまう、ということでしょう。
「まずは、やってみなさい」というので、何もわからないまま触ってみること。
これもまたよく先輩たちから言われる言葉ですね。
納得のいく理由を説明してほしいと望んでも、とにかく触ってみなければわからないところがあるので、そこがとても難しいところです。
そして問題は、まずはやってみたというその後で、納得のいく説明や解説が行われているかどうかですね。
これもまた大いなるパラドクス(逆説)で、実践しておけば自然に分かっていくと思い込みをもっている先輩たちも多いのは確かです。
これをどこまでやったら良いのかは、経験的にもとても難しいところです。
「お能」と同じく「狂言」や「歌舞伎」の世界では、「型を学ぶ」ことが重要で、そこには納得のいく説明はほとんどないようです。
稽古の繰り返しによって、年々を重ねるごとにその意味が深く理解していけるようになっていくとのことでした。
人間国宝の狂言師である野村万作氏もまた、インタビューで次のように語っています。
*******************************
師匠である父と一緒に舞台に出ていた頃は、「こう喋りなさい」と習ったことを忠実に演じていました。
父が亡くなってから、「なぜこういうふうに喋るのか」という台詞一つ一つの意味を自分で考え、発見するようになりました。
個性というものが発揮されていくのはそれからであると思います。
また、年を重ねて五〇、六〇代で台詞を考えると、二〇、三〇代の頃のように頭でっかちな解釈とは違ってきます。
そうして、年齢に合った「自然な」リアリズムの劇になっていくのです。
(2015年11月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版より抜粋)
*******************************
まずは基本の「型」を覚えて、その繰り返しの中から、その基本の本質をとらえ本当の意味で理解を深めていくというプロセスがあるということでしょう。
基本の「型」を身に付けるために最も大切なことは「素直さ」であるに違いありません。
これはどんなにベテランになったとしても、若い人からも刺激を受けて新しい発見をしたり、基本を見直したりするような、「素直さ」「謙虚さ」が求められますね。
基本の「型」を身に付けることの大切さを考えています。
よく「なぜそうするのかわからない」という言葉を聞くことがあります。
納得できる理由をしっかり説明してもらわないと、実行するには根拠が希薄で意味がないように感じてしまう、ということでしょう。
「まずは、やってみなさい」というので、何もわからないまま触ってみること。
これもまたよく先輩たちから言われる言葉ですね。
納得のいく理由を説明してほしいと望んでも、とにかく触ってみなければわからないところがあるので、そこがとても難しいところです。
そして問題は、まずはやってみたというその後で、納得のいく説明や解説が行われているかどうかですね。
これもまた大いなるパラドクス(逆説)で、実践しておけば自然に分かっていくと思い込みをもっている先輩たちも多いのは確かです。
これをどこまでやったら良いのかは、経験的にもとても難しいところです。
「お能」と同じく「狂言」や「歌舞伎」の世界では、「型を学ぶ」ことが重要で、そこには納得のいく説明はほとんどないようです。
稽古の繰り返しによって、年々を重ねるごとにその意味が深く理解していけるようになっていくとのことでした。
人間国宝の狂言師である野村万作氏もまた、インタビューで次のように語っています。
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師匠である父と一緒に舞台に出ていた頃は、「こう喋りなさい」と習ったことを忠実に演じていました。
父が亡くなってから、「なぜこういうふうに喋るのか」という台詞一つ一つの意味を自分で考え、発見するようになりました。
個性というものが発揮されていくのはそれからであると思います。
また、年を重ねて五〇、六〇代で台詞を考えると、二〇、三〇代の頃のように頭でっかちな解釈とは違ってきます。
そうして、年齢に合った「自然な」リアリズムの劇になっていくのです。
(2015年11月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版より抜粋)
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まずは基本の「型」を覚えて、その繰り返しの中から、その基本の本質をとらえ本当の意味で理解を深めていくというプロセスがあるということでしょう。
基本の「型」を身に付けるために最も大切なことは「素直さ」であるに違いありません。
これはどんなにベテランになったとしても、若い人からも刺激を受けて新しい発見をしたり、基本を見直したりするような、「素直さ」「謙虚さ」が求められますね。
12月8日 基本の「型」(4)・・・基本形
おはようございます。
私たちが何か道具を使うというとき、必ずそこには基本の「型」があります。
機械を扱うときも、その機械が性能を十分に発揮するために、部品やボタンなどそれぞれが配置されています。
そして機械を動かすときの段取りもまた基本的な流れがあります。
それらの基本的な動かし方のなかに、基本的な「型」があることに気づくことでしょう。
つまり物事にはすべて意味があるということです。
たとえば「阪口製作所は何をもって品質が保証されていますか?」と聞かれたときどのような答えがあるのでしょう。
「阪口製作所に仕事を依頼したら、間違いないモノをつくって納めてもらえる」との信用はどこにあるのでしょうか。
ひとつは70年もの永い歴史があること、これまでの実績という、ゆるぎない証しがあることは言うまでもありません。
それはこれまでの実績が信用の証しとなるわけですが、これから未来にわたってその実績を積み上げ続けることができるために、「品質保証システム」があるというのが大切なことなのです。
間違いなく良い品質のモノが製造される、NGがあったとしてもそれがすぐに明らかになり、スムーズな対応ができ、ただちに改善される、品質が保証されるシステムがあること。
これが大きな信用の証しともなります。
この品質保証システムが、製造工程の基本の「型」となっていきます。
生産現場ではこの品質保証システムにしたがってのルールを守ることで、品質が保証されています。
ここにおいても基本の「型」があり、ひとつひとつのルールに意味があります。
品質を保証するためのシステムであることを意識してみれば、たとえ面倒なことであっても守るべきものを守るという基本の徹底が大切ですね。
そこで手を抜いたり、面倒だからといってショートカットしたりしないように基本的なルールを守ることが求められます。
あらゆるものに基本の「型」があります。
目の前の仕事に対しても、基本の「型」があり、基本的なルールがあるはずです。
多忙を極める仕事であっても、基本から外れないことが時短につながり、良い品質の製品をお客様に納めることができると、先人たちの経験と教訓が証明しています。
年末まであとわずかとなってきましたが、基本の「型」を今一度見直してみていただきたいと思います。
私たちが何か道具を使うというとき、必ずそこには基本の「型」があります。
機械を扱うときも、その機械が性能を十分に発揮するために、部品やボタンなどそれぞれが配置されています。
そして機械を動かすときの段取りもまた基本的な流れがあります。
それらの基本的な動かし方のなかに、基本的な「型」があることに気づくことでしょう。
つまり物事にはすべて意味があるということです。
たとえば「阪口製作所は何をもって品質が保証されていますか?」と聞かれたときどのような答えがあるのでしょう。
「阪口製作所に仕事を依頼したら、間違いないモノをつくって納めてもらえる」との信用はどこにあるのでしょうか。
ひとつは70年もの永い歴史があること、これまでの実績という、ゆるぎない証しがあることは言うまでもありません。
それはこれまでの実績が信用の証しとなるわけですが、これから未来にわたってその実績を積み上げ続けることができるために、「品質保証システム」があるというのが大切なことなのです。
間違いなく良い品質のモノが製造される、NGがあったとしてもそれがすぐに明らかになり、スムーズな対応ができ、ただちに改善される、品質が保証されるシステムがあること。
これが大きな信用の証しともなります。
この品質保証システムが、製造工程の基本の「型」となっていきます。
生産現場ではこの品質保証システムにしたがってのルールを守ることで、品質が保証されています。
ここにおいても基本の「型」があり、ひとつひとつのルールに意味があります。
品質を保証するためのシステムであることを意識してみれば、たとえ面倒なことであっても守るべきものを守るという基本の徹底が大切ですね。
そこで手を抜いたり、面倒だからといってショートカットしたりしないように基本的なルールを守ることが求められます。
あらゆるものに基本の「型」があります。
目の前の仕事に対しても、基本の「型」があり、基本的なルールがあるはずです。
多忙を極める仕事であっても、基本から外れないことが時短につながり、良い品質の製品をお客様に納めることができると、先人たちの経験と教訓が証明しています。
年末まであとわずかとなってきましたが、基本の「型」を今一度見直してみていただきたいと思います。
12月9日 基本の「型」(5)・・・真似と創造性
おはようございます。
「型にはめる」というと、個性や独自性が疎外されるように思われます。
もちろん「型」にはめることで、自分の意思を反映できないと思っている人も多いかもしれません。
事実として、型を身につけるときは、その分野の師匠を真似(まね)することからスタートするからですね。
師匠の真似をする時には、自分自身の主張を押し殺して、ただ素直に従って自分自身を「型」にはめなければならないからです。
大変興味深いことですが、師匠の真似をすることによって、そこから独自の創造性が創り出されることになっていくことがあります。
しっかりと真似ができたことがスタートラインになるということなのでしょう。
昔から日本は真似が上手であると言われてきました。
しかし日本の真似は単にモノマネに終わるのではなく、真似をするところから新しいモノを創り出してきたところにその特徴があります。
実は「真似」ができると考えられる人は、すでにその本質をとらえていることにつながっています。
決して「真似などできない」と思ってしまっている人は、真似をしようとは思いません。
「これだったらできるかもしれない」と思わなければ、真似をしようとは考えないからです。
そして真似してみたいという心には、そのものに対する「憧憬」や「尊敬」が根底に横たわっています。
モノマネ芸人にほとんどの人の共通した思いは、「真似をしたくなる人物が好きで好きでたまらない」と発言をしています。
これはとても興味深いことですね。
真似から入って「型」を学び、その「型」から出て自分らしさを創り出す。
多分、創造性の原理はこういうことではないかと思います。
尊敬する人、好きな人、関心を持って共鳴共感する人との出会いが、真似となりそこから新しい創造性が生まれてくることは間違いない原理原則であろうと思います。
基本の「型」を学ぶことの基本は、その基本を示してくれる先輩や師匠への共鳴や共感がなければならないというふうにも思われます。
あなたとあなたが好きで好きでたまらない人、尊敬してやまない人、モデルとなる「型」をもっている人の真似をするところから、創造性が始まるのではないでしょうか。
「型にはめる」というと、個性や独自性が疎外されるように思われます。
もちろん「型」にはめることで、自分の意思を反映できないと思っている人も多いかもしれません。
事実として、型を身につけるときは、その分野の師匠を真似(まね)することからスタートするからですね。
師匠の真似をする時には、自分自身の主張を押し殺して、ただ素直に従って自分自身を「型」にはめなければならないからです。
大変興味深いことですが、師匠の真似をすることによって、そこから独自の創造性が創り出されることになっていくことがあります。
しっかりと真似ができたことがスタートラインになるということなのでしょう。
昔から日本は真似が上手であると言われてきました。
しかし日本の真似は単にモノマネに終わるのではなく、真似をするところから新しいモノを創り出してきたところにその特徴があります。
実は「真似」ができると考えられる人は、すでにその本質をとらえていることにつながっています。
決して「真似などできない」と思ってしまっている人は、真似をしようとは思いません。
「これだったらできるかもしれない」と思わなければ、真似をしようとは考えないからです。
そして真似してみたいという心には、そのものに対する「憧憬」や「尊敬」が根底に横たわっています。
モノマネ芸人にほとんどの人の共通した思いは、「真似をしたくなる人物が好きで好きでたまらない」と発言をしています。
これはとても興味深いことですね。
真似から入って「型」を学び、その「型」から出て自分らしさを創り出す。
多分、創造性の原理はこういうことではないかと思います。
尊敬する人、好きな人、関心を持って共鳴共感する人との出会いが、真似となりそこから新しい創造性が生まれてくることは間違いない原理原則であろうと思います。
基本の「型」を学ぶことの基本は、その基本を示してくれる先輩や師匠への共鳴や共感がなければならないというふうにも思われます。
あなたとあなたが好きで好きでたまらない人、尊敬してやまない人、モデルとなる「型」をもっている人の真似をするところから、創造性が始まるのではないでしょうか。